平文(ヘボン)さん (3)
と言うのは、キリスト教の宣教師が本来の使命で日本に来たのであって、医術はその一助にすぎないと言う強い信念が彼にはあった。日本人には、無料でも治療はするが、外国人には一切治療を拒んでいる。「生麦事件」での治療は、彼にとっては特別だった違いない。
その医者としての腕は、素晴らしく、多くの人々を診察している。大名までが診察に来たというから凄い。当時の漢方医や蘭方医がやっかみ、危篤状態の重病人を送り込んだという話もある。
また、日本語を覚えるのに苦心している。治療に来た人からの話を書き写し辞書を作っている。
それが有名な「和英語林集成」である。始めての本格的な和英辞典ではないだろうか。
しかもその編集者の名前が「美国平文」になっている。その後、「新約聖書約翰傳福音書」を完成させている。当時の日本と世界を身近にさせたヘボンは、日本にとって偉大な貢献者である。
ヘボンの人となりは、温厚で思いやりのある性格、家庭を大事にして、異国人が日本に来るとヘボンの住む「成仏寺」に立ち寄り、心を和ませたと言われている。
しかし、その反面、子供には不幸が続き、成長した息子も、父ヘボンの後を継がず貿易関連の会社に勤めたので、悲しがった様である。
ヘボンの活躍を支えたのは、妻のクララがいたからだと思う。彼女も当時、英語塾の手助けをしている。晩年の彼女は、成仏寺にいたころ刺客にこん棒で殴られた事がもとで、精神的に悩まされたという。日本人の一子孫として申し訳なく思う。それにもめげず、幕末維新のご先祖たちに多くのことを教えてくれたヘボンご夫妻に感謝して、この項を終わる。
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画像は、京都外国語大学付属図書館よりお借りしました。
参考資料
「ヘボンの生涯と日本語」望月洋子著(新潮社)
ヘボン博士の記憶その2
ローマ字のヘボンさん…?
ヘボン ~「和英語林集成」にこめられた思い~
明治学院大学ボラティアセンター



